なぜ「蛇口」は蛇の口と書くのでしょうか。
蛇の口に似ているからそのような名前を付けられたわけではありません。
実は蛇以外の生き物が元になっていたのです。
蛇口はなぜ蛇の口?名称の由来にびっくり!
まず水道技術が生まれたのは江戸時代が始まりでした。
この頃は川から水を引いて地中の木管から水を通していました。
まだ現代のように水を自在に動かす技術はなかったので、傾斜を利用して水を井戸まで引き、その井戸から人々は水を汲んでいました。
そして明治20年に横浜で水道整備が始まり、日本で初めての浄水場から水を送る水道が開設されました。
とは言っても現代のように各家庭に水道が設置されていたわけではなく、道路脇などに公共のものとして設置され、これを「共用栓」と呼びました。
最初の頃に使っていた共用栓はイギリスから輸入したものでした。
イギリスの共用栓は蛇口の部分が西洋で水の守り神とされている「獅子」を模してデザインされていました。
やがて明治31年になり東京でも共用栓が設置されることなり、この頃から日本で作られた共用栓が使われるようになったのです。
日本で作られた共用栓は蛇口の部分に東アジアで水の守り神とされていた「龍」のデザインを施すことになりました。
そして「龍」は「蛇」を元にした生き物でした。
蛇体鉄柱式共用栓を小さくしたのが「蛇口」
昔は安全を願ってゆかりのある守り神の置物を置いたり、守り神そのものをデザインすることで災害や悪いものを追い払ってくれると信じられていたからです。
そのため水の守り神である「龍」をデザインすることで水害を回避できますように、と昔の人は願掛けをしていました。
最初は蛇口を「龍頭・竜頭(りゅうず)」や「龍口(たつくち)」と呼んでいましたが、そのうち「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ぶようになりました。
「蛇体」としたのは栓の柱部分が「蛇腹」に似ていたからだとも言われています。
やがて各家庭に専用栓が設置されるようになったとき、その専用栓を「蛇体鉄柱式共用栓」の子ども、つまり龍の子どもという意味で「蛇口」と呼ばれるようになりました。
と言うわけでヘビの口だから「蛇口」と呼ぶのではなく、龍の子どもという意味で「蛇口」と呼ぶようになったのです。
口から水を出すライオンといえばこれ。マーライオンってこんなもの
水の守り神で「獅子」と言うと、シンガポールのシンボルである”マーライオン”を連想しますよね。
ですが実はマーライオンは水の守り神の「獅子」とは関係がないのです。
マーライオンがシンガポールのシンボルとなったのには水の守り神とは別の由来がありました。
11世紀頃、スマトラ島(現在のマレーシア)の王族サン・ニラ・ウタマが対岸に見える大地を目指して航海の旅に出ました。
しかし途中で海が大荒れして危機的な状況に陥ったとき、サン・ニラ・ウタマは被っていた王冠を海に投げました。
すると海の荒れが収まり、無事に対岸の大地に辿り着くことができたのです。
そのときサン・ニラ・ウタマは見たことのない生き物を見つけました。
現地人にその生き物のことを聞いたところ、サンスクリット語で「Singa(シンガ)」、つまりライオンだと言われました。
なのでその大地は、町や都市を意味する「Pura(ポール)」を加えて「シンガポール(ライオンの町)」と呼ぶようになりました。
このときのライオンがマーライオンの元となったのです。
ただその頃はシンガポールにはライオンがいなかったため、この時見たのはライオンではなく虎だったと言われています。
またマーライオンの下半身が魚の尾になったのは20世紀半ばに、そのライオンに海をイメージさせる魚の尾を付けてシンガポール観光局のロゴマークとして使うためでした。
それがシンガポールのシンボルとして定着していき、今では国のシンボルとなったのです。
ちなみにマーライオンは雄だそうです。
まとめ
それでも西洋の水の守り神が「獅子」だったのはマーライオンが少なからず関係しているのではないかと思う方もいるかもしれません。
しかし「獅子」が水の守り神とされるようになったのは古代エジプトに関係がありました。
ナイル川が獅子座の8月の時期になると増水して川が氾濫することから、水場には獅子の彫像が置かれるようになり、それが水の守り神に繋がったようです。
結局のところ「蛇口」の由来は「ヘビ」と見せかけて「龍」であり、「龍」だけど最終的には「龍の子」という形で「蛇口」と呼ばれるようになりました。
現代でも例えば神社の水手舎といった水場に「龍」がいたりと、昔からある場所には意外と守り神的なものの彫刻や置き物があったりします。
何でこんなところにこんなものが?というものも守り神や何かの象徴なのかもしれませんね。